「憲法とは、国家権力(政府)をも拘束する最高の法規である」という、古典的な憲法観を、私は信奉しています。
ただし、「そのような憲法観はもう古い」などという主張もあるようです。そこには「国家権力を法(憲法を頂点とする法体系)から解放して自由な状態におきたい」という狙いがあるのでしょう。
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「国家権力をも拘束する最高法規」という憲法観は、三権分立についての理解があると、より深まると思います。
三権分立とは何か。国家権力を立法・行政・司法に分けることによる「権力均衡のしくみ」である、といった説明が、多くの人のアタマにはあるはずです。
しかし私は、「権力均衡」というのは、三権分立の理解としては不十分だと思います。
私は、三権分立とは「政府の活動においてPlan・Do・See(計画・実行・検証)のサイクルを適正に回すためのしくみ」だと考えます。
そもそも、国家でも企業でも個人でも「何かを行う」のは、大きく分けてつぎの3つの段階から成っているのではないでしょうか。
1.何をするか決める(Plan=計画・企画)
2.実行・具体化する(Do=実行)
3.行ったことを当初の決定に照らしチェックする(See=検証)
そして、三権分立とは、この各段階をひとつの権力機関ではなく、3つの機関に分担させるシステムととらえるべきなのではないか、ということです。
おおまかにいって、Planは法律や予算を決める国会などの立法府、Doは役所などの行政機関、Seeは裁判所つまり司法。
つまり、三権分立とは、政府がPlan・Do・See(計画・実行・検証)を適切に行うためのしくみである、ということです。
このような「See=検証」の対象には、まず国民(私人)の行為(Do)がありますが、政府のDoである行政や、国家レベルでのPlan、つまり立法も対象となり得ます。
政府でも企業でも、ダメな組織は「Plan・Do・See」のとくに「検証」の部分が弱く、そのため問題が放置され腐敗していきます。三権すべてが誰かに集中する独裁体制では、独裁者を「検証」できないのでそうなってしまうのです。
こうした「三権分立」論は、政治学者・滝村隆一さんによる説に基づいています。滝村さんは、学界では異端の存在なので、以上のような三権分立の考え方は一般的ではありません。しかし、私は説得力のある重要な見方だと思います。
そして、以上の文脈で考えると、憲法とは「See=検証」における、判断の最終的な根拠になる規範(ルール)のことだといえるでしょう。
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「Plan・Do・See」としての三権分立において、司法は「何が正しいか」の判断を担っています。そして、その判断の究極の拠り所が憲法です。
そこで、司法は三権のなかでも特別な高い地位を占めているといえます。また、その司法の「拠り所」である憲法は、たしかに特別な法規範なのです。
しかし、司法は権力を現実に行使するための(たとえば警察のような)組織を、ほとんど持っていません。そのような組織を持っているのは行政です。
その意味で、司法はじつは無力でもある。その司法が力を持つには、「法(憲法)による支配こそが正しい」という国民の合意が確立していないといけません。
ということは、三権分立という制度は、私たちが「法」(とくに「憲法」)や、「三権分立」についてどう考えるかによっては、簡単に崩れてしまうかもしれないのです。
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「“国家を拘束する”という憲法観はもう古い」という主張をする人たちは、「国家は、昔は国民を弾圧する恐ろしい存在だったかもしれないが、民主主義が定着した今はそうではない。だから、憲法観は変わってしかるべきだ」などといいます。
たしかに国家(政府)は、戦前などの昔よりは、はるかに信頼できるようになりました。
しかし、それは現在の憲法の体制のもとで、政府がそれなりに制御されてきたことによる成果ではないでしょうか?
もしも、憲法などの法的な拘束が大幅に弱くなったら、どうなのか。国家はまた「怪物」的な姿をあらわにするのではないか?
私は「反国家」「反権力」を何でも主張するほうではないつもりですが、国家という巨大な力を持つ存在は、やはり根幹においては拘束されていないと、恐ろしいことになりかねない、と思います。
何しろ、国会(立法)における与党のメインで、行政を主導する大臣ポストの多くを占める政党で、違法・脱法といえる「裏金」づくりをさかんに行っていたりするのです。
「裏金」とは、政治資金規正法などの法的な拘束から自由なお金です。権力の側の人たちは、やはり「法の支配」は好きではなく、「法からの解放」を強く求めているのではないか。
「法からの解放」とは、要するに特権のことです。そして、法的規制から自由な特権というのは、憲法の「法の下の平等」に反しますし、恣意的・独裁的な権力につながる入り口です。
「今の政府・国家は信頼がおけるので、“国家を拘束する”という憲法観をあらためるべき」という話を、簡単に真に受けるわけにはいかないでしょう。
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