デマに騙されないための考え方について、科学史家・教育学者の板倉聖宣(1930~2018)は、1964年に高校生向けの雑誌に発表された文章で、こんなことを述べています。
“相手のデマや宣伝にひっかからないためには,相手の言い分にのって,こまごました議論や行動にインチキがないかどうか、一つ一つ緻密にたしかめていっても,なかなかそのまちがいに気づかないことが多いものですが,おおまかでもよいから,もっと広い視野にたって問題を考え直してみると,案外相手のまちがいがみつかるものなのです。”(「デマ宣伝を見破るには」『板倉聖宣セレクション1 いま、民主主義とは』仮説社)
そして、板倉は「広い視野で問題を考え直す」ことの事例として、科学史におけるコペルニクスの天動説などをあげて論じているのですが、もっと簡単な、子どもにもわかるシンプルな例として、こんなことも述べています。
“手品のトリックを解きあかすことは多くの場合むずかしいことです。しかし,それが手品であり,インチキであることだけは,ちょっと視野広く考えなおしてみれば明らかです。弁当箱からいくらでも卵がでてくるものなら,手品師は,卵屋になった方がもうかるはずですから!”(前掲「デマ宣伝を見破るには」)
「弁当箱から卵を出す手品」の例は、1960年代前半という時代を感じさせます。ここを現代風にいえば「手のひらからお金をいくらでも出すことができるなら、マジシャンは大金持ちだ!」といった感じでしょうか。
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この板倉の言葉を、私たちは肝に銘じたほうがいいでしょう。
つまり、情報に向き合ってその真偽について真剣に考えようとするとき、「おおまかでもよいから、もっと広い視野で問題を考え直す」ということを心がけ、実践してみるとよいと思います。
たとえば、「あなたや限られた人にだけ、特別な投資案件を教えます」という話には、「なぜ、その投資話をこの人は独り占めしようとしないのだろう?そのほうが儲かるのでは?」ということを、まず考えてみるわけです。
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では、「兵庫県知事は、既得権を牛耳る闇の支配者たちと戦ったために、陰謀によって失職に追い込まれた」というストーリーは、どうでしょうか?
そのストーリーは、こまかいことも含むさまざまな説明によって、真実らしく感じられるのかもしれません。
しかし、一市民である私たちは、その具体的な内容の真偽を直接にたしかめることはできません。それができるのは、現場取材のリソース(組織・ノウハウ・時間など)を持つ報道機関やジャーナリスト・研究者といった専門家です。
ここでは、できる範囲でおおまかに「もっと広い視野で問題を考え直す」ことをしてみましょう。
たとえば、つぎのようなことを考えてみるわけです――「県議会において、全会派が一致して知事に対する不信任を突きつける」「一知事を失脚させるために、マスコミを片端から動かして世論を操作する」などということを工作できる強大な権力は、はたして今の日本に存在しうるのか?
今の中国における共産党やその指導者のような権力なら、自国内においてそれは可能かもしれません。
しかし、中国共産党は「闇の権力」などではなく、その存在じたいは誰の目にも明らかです。社会の隅々まで支配する強大な権力というのは、おおいに目立つものです。
ただし、中国のような国家においては、地方の首長くらいは、まわりくどい工作などしなくても、ストレートに権力を発動させて失脚させることになるのでしょう……ここでは、「強大な権力は目立ってしまう」ということを言いたいわけです。
だから、今回のように兵庫県知事を失脚させ得る強大な権力が仮に存在するとしても、私たちがその姿を捉えにくい、これまで気がつかなかったような存在であるとは、ちょっと考えにくい。
だとすると、知事が議会から不信任となったのは、闇の権力の陰謀ではなく、やはり議員たちがそう判断するに足る、それなりの問題・不祥事があったことを示すのではないか……
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たとえば以上のように考えてみる、ということです。
ただし、これは陰謀論を論破しようとしているのでありません。自分とはちがう考えの人を説得して、その考えを変えさせるのは、きわめて難しいことです。それはまた別次元の話になります。
ここでは、他者の論破・説得ではなく、「自分が騙されない」「騙されないように自分の考えを整理・確認する」ための考え方について述べているのです。
そのテーマについて、板倉という学者は、今から60年も前に非常に大事なことをわかりやすく述べてくれていると思います。よかったら、参考にしてみてください。