マンガ家・手塚治虫は、「虫プロダクション」というアニメーションスタジオを設立し、経営していました。
虫プロは、日本初の(毎週30分放映の)テレビアニメのシリーズである『鉄腕アトム』(1963~66放映)をはじめ、手塚治虫原作の作品を中心にいくつものアニメを手がけた、日本有数のアニメーションスタジオでした。
しかし、虫プロは1973年に多くの負債を抱えて倒産してしまいます。原因や経緯はいろいろありますが、要するに放漫経営的なところがあったのです。
テレビアニメの世界が抱える問題――限られた製作費で苦しい経営と過酷な労働が強いられるという構図は、業界の初期の時代からすでにありました。虫プロもそれにあてはまります。
虫プロの赤字を、手塚がマンガで稼いだお金で埋めることもありましたが、事業が大きくなれば、それではとても追いつきません。
ただしその一方、あまり知られていないことですが、虫プロのスタッフの給料は、じつは業界ではトップクラスで、世間的にも悪くなかったのです。
このことは、この記事の参考・引用文献である、中川右介『アニメ大国建国紀1963‐1973 テレビアニメを築いた先駆者たち』(イースト・プレス)で知りました。
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負債を抱えて倒産した虫プロの経営者・オーナーである手塚のもとには、多くの債権者が押し寄せました。
手塚は、立派な自邸や預金などの自分の資産をすっかり処分して、債務の返済にあてました。そこは大変潔かったと言われています。
しかし、最後まで手放すことなく守り抜いた資産があります。それは、自分の作品のキャラクターに関する版権です。
こうしたキャラクターの権利は本来、手塚の資産のなかで最も価値があるといえるものです。
だから、債権者たちがこれを欲しがって、いろんな人にバラバラに譲渡されてしまうこともあり得たでしょう。たとえば鉄腕アトムの権利は債権者A社に、ジャングル大帝はB社に…といった具合です。あるいはアトムの権利をA社・B社等で、などということもあり得ます。
でもそうはならなかった。今現在、手塚作品のおもな遺産は(著作権だけでなくキャラクターの権利も)、手塚の残した会社や手塚の子どもたちが管理しています。
そうでなかったら、現代において手塚作品を映像化したり、グッズをつくったり展示したりすることには、いろいろな障害があったでしょう。少なくとも、断片的で粗雑な扱いになってしまったはず。
宝塚市にある手塚治虫記念館のようなものをつくるのも、きわめてむずかしかったにちがいありません。
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手塚作品の(キャラクターなどの)権利を、今も手塚が残した会社が管理している――私もこれをあたりまえのように受けとめてきましたが、虫プロの倒産のことを考えれば、じつはこれは奇妙なことです。
だから、そこには特別な何かがあったということです。
たしかに、そういう「特別な何か」はありました。そのことを、私そういちは先日読んだ(前述の)中川右介さんの本で知りました。
じつは虫プロが倒産した際、手塚がキャラクター権を失わないように、助けてくれた恩人がいたのです。
その恩人は、大阪でベビー用品の卸売業を営む社長さんで、鉄腕アトムのキャラクター商品を会社で扱ったことから、手塚との交際が始まりました。
この社長は事業の傍ら、不良少年の更生の活動に熱心に取り組むなど、困っている人を助ける気持ちを強く持つ人でした。そんな社長の人柄に手塚も好意を寄せていました。のちにマンガでこの人をモデルにしたキャラクターを描いたりもしています。
そして虫プロが倒産すると、この社長は自分も債権者の1人なのに、何度も上京して手塚の相談に乗り、債権整理を手助けしてくれました。
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そんななか、恐ろしい筋の人間が手塚のもとに取り立てにやってくるということがあり、手塚はあわててこの社長の大阪の会社を訪ね、助けを求めたのです。
自分はどうしたらいいのだろうか、いっそ外国にでも逃げようか…うろたえる手塚に、社長はアドバイスします。とにかくキャラクターの権利だけは手放すべきではないと。あれさえあれば、また再起できるはずだと。
そして、社長は手塚にこう提案します――キャラクターの権利を守るために、手塚が持っている権利のすべてを、いったん自分に譲渡しなさい。倒産騒ぎのほとぼりがさめたら、その権利はすべて手塚に返すから。
手塚はこの提案にしたがって、すぐに契約の書類(何百にもなる)を弁護士と相談したうえで用意させて、社長にキャラクターの権利を譲渡しました。
これは本来はやってはいけない、危険きわまりないことです。社長が悪い人間なら、権利はすべて取られてしまって終わりです。しかし、手塚は社長を信じたわけです。
そして、社長は約束どおり、のちに手塚に権利をすべて返したのでした。社長のところには、この権利譲渡のことを聞きつけた債権者が「権利を渡せ」と言ってくることが何度もありましたが、頑として応じませんでした。
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うーん、そんなことがあったんですね。
このように、手塚作品という文化遺産を、個人としては何の得もないのに、義侠心で大事に守ってくれた人がいたのです。
そのおかげで、今の私たちはバラバラにならずにまとまったかたちで、あるいは本来のあり方を損なわないかたちで、手塚作品のいろんな面に触れることができるのです。キャラクターの権利がすべてではないにせよ、それが大事な要素であることはまちがいありません。
私そういちは手塚作品に子どもの頃から非常に親しんできたファンなので、この社長さんに感謝の気持ちを述べたくなります。
なお、この社長さん――「アップリカ葛西」の葛西健蔵さんについては、巽尚之『鉄腕アトムを救った男』という本があるそうです(中川さんの本の記述も、おもに同書による)。
今日(2022年11月3日)は文化の日で、手塚治虫(1928~1989)の誕生日でもあります。以上は、そんなに日にふさわしい記事であったかと。
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